紺青Diary

国際政治とアメリカ留学

アメリカ大学院挑戦記(2)なぜアメリカの大学院を志望したのか

こんにちは、アメリカ大学院挑戦記の第二回目の記事になります。今回はなぜ海外大学院を志望したのかといった話をしていきます。また、最後になぜ修士課程を経てからではなく学部から直接挑戦したのかという点にも触れていこうかなと思います。

 

まず、大前提として 私は将来研究者になるべく、博士号を取得したいと考えていました(こう思うに至るまで色々あるのですがここでは省きます)。博士号をとるには大学院に進学しなければならない訳ですが、その際の選択肢として国内大学院か海外大学院どっちに行くのか、そして海外大学院の中でもどの国に行くのかといった選択があるかなと思います。そこでアメリカの大学院を選んだ理由としてはパッと思い浮かぶものだと以下の4点があります。

・学問のレベルが高い

・就職に有利(?)

・(PhDは)お財布に優しい

・身近にロールモデルがいた

 

順番に説明していきます。

 

・学問のレベルが高い

専門分野の論文を読んでいると、やはり面白いなと思う研究を行っている研究者はアメリカの大学に所属していることが非常に多いです。特に私が深めたいと考えている計量的手法を用いた実証研究においてはそれが顕著だと思います。そのような手法の発祥の地がアメリカでありますし、(大学等によると思いますが)教育環境や学会の雰囲気といった諸々のアカデミアの環境がそのような研究を是とする雰囲気にあると聞きます。そのため、なんとなく憧れというか、留学するならアメリカ一択だという感覚はありました。この点に関しては色々議論があると思いますが、私個人が求める研究環境は揃っているという意味で米国の大学院が他国よりベターである可能性が高そうだと思っていました。

(上記の話は私の場合であって研究対象や手法によって他の国や日本の大学院の方が適切な場合もあると思います。こればっかりはその人が持つ研究関心によるとしか言えませんし、その他の家族の事情や最近のコロナの影響で同じ研究関心でも違う国がベストになりうることはありうると思います。そもそも、同じ国でも大学ごとに様々な特色があるため、国ごとに見ていくやり方自体適切でないことも多いと思います。上記の話は一般に当てはまることではなく、単に私が当時考えたこととして捉えてください)

 

・就職に有利(?)

海外、特に米国の大学院を出た方が就職の際に有利であるとよく言われます。確かにこれまで米国の大学院に進学した先輩方は知っている限り全員無事に就職していますし、中には一般的な条件より良い条件で就職している方もいるので感覚としてはこれはもっともらしいです。(まあ少し世代が離れると就職がうまくいかなかった人を知る由がなく、世代が近い方はまだ大学院に通われていることが多いので、知っている方全員が就職しているのは当たり前かもしれないのですが。)また、米国の学位を取ることで日本や米国だけでなく、他の国で就職するチャンスが増えることもメリットだと思います。

 

ですが、もしこれが米国の大学院の教育制度が素晴らしかったり質の高い研究に多く触れるために、院生の能力が伸びるということなら良いと思うのですが、そうではない可能性がいくつかあると思うので注意が必要です。まず思いつくのは(自分で言うのも変ですが)単純に米国の大学院に合格する層は元々優秀であるため、どこに行っても結果はあまり変わらなかった可能性です。他にも、日本での就職を考えた場合、大学ランキングを上げるために英語で授業できる人が重宝され、結果、能力は同じでも英語で教える経験のある人が採用されやすい可能性があります。その場合、普遍的に海外PhDが就職に有利なわけではなく、今後の文科省/大学の方針に影響されてしまいます。また、現在トップジャーナルに論文を出している日本人の研究者が全員海外PhD持ちかというというとそんなことは決してなく、日本で博士号をとられた方も多くいらっしゃいます。そのため、海外PhDが研究者として活躍するかどうかを決める決定的な要因にはならないのかなと思います。さらには、海外に出た場合、日本の学会とのつながりが薄くなってしまうというマイナス要素もあると思います。

しかし、今後も英語重視の流れは続きそうですし、日本との繋がりについても意識的に日本の学会等で発表することで日本とのつながりは保てそうです。なので、上記で見たその他の可能性を考えた上でもなお、海外の大学院に行くことは就職面で決してマイナスにはならない選択肢なのかなと思いました。そもそも米国の教育制度が素晴らしいと言う可能性も十分ありますし。

 

 

・(PhDは)お財布に優しい

前回の記事でも書きましたが、多くのアメリカのPhDコースではお金がほとんどかかりません。(修士は別です。)具体的には、授業料は無料で(正確には学部が代わりに負担してくれる)、それに加えてfellowshipと呼ばれる毎月の生活費が全員に出ます。この生活費の額は大学やその周辺の物価などによりまちまちではありますが、一応の生活は送れる額だと思います。その代わり、2、3年目から(場合によっては1年目から)は決められた量のTAと呼ばれる授業の手伝い(採点業務や代理講義、ラボセッションと呼ばれる毎週のフォローアップなど)をすることが求められます。ただ、確か週20時間以上は働いたらダメという規則があった気がしたのでそれ以上は働かなくても大丈夫だと思います。UT Austinの先輩に聞いてみたら(VIsit Dayで聞いた話なので嘘か本当か知りませんが)多くて週15時間ということでした。

あと、夏休みの期間は支給されなかったり、額が少なくなってたりすることがあるのでそこら辺は注意が必要です。ただ、いずれにせよ、授業料がかからず生活費のあてがありながら勉強・研究ができるのは、とても魅力的だと思います。実際、大学が一人の院生に投資する金額は、100万弱〜300万/年の学費と200-300万/年の生活費を合わせたら5年で1.5千万-3千万程度になるのではないでしょうか。(と巷ではよく言われているものの、これは多少誇張が入っているのではないかと疑ってて、学費に関しては大学側からしたらその院生から取れる収入がないというだけでお金を投資しているのかというとそういう訳ではなさそうですし、生活費に関しては先ほど述べたTAの仕事をしているので差額を考えると、実際に投資している額は年100-200万、5年で総額500-1千万ほどなのではないかなと思います。まあこれでも十分大金ですし、計算も適当ですし、ここら辺に詳しいわけではないので話半分に聞いておいてください。)また上記とは別に私の場合、学会参加のための渡航費やフィールド調査費、夏に別の大学で開催される方法論の集中授業の参加費などが支給されるそうです。このように、PhD課程に行くことによる金銭的負担はほぼありません。本当はこの後に日本や欧州との比較を書こうと思ったのですが、不正確なことを書いて怒られたら嫌なのでやめておきます。

 

 

 

・身近にロールモデルがいた

 ロールモデルの存在はある選択肢を実現可能なものと考える上で重要だと思います。私の場合、ゼミの指導教官が米国の大学院でPhDを取られてたことが大きかったです。進路に悩んでた際、先生に海外院を目指してみることを勧められて、そこで初めてそのような進路を具体的に考え出しました。もし違うゼミを選んでいたなどの理由で、指導教官に出会うことがなければ、そもそも海外院を目指していなかったかもしれません。その点、指導教官には本当に感謝しています。

 

 ここまで米国の良いところを書いてきましたが、日本やその他の国でも優れた大学・研究者はもちろんいるため、良い大学があればそこにも併せて出願するのは良いことだと思います。実際、私は日本の早稲田大学に出願しました。ただ、出願にはそれなりの手間と時間とお金がかかること、そして、それらのリソースは有限であることを考えれば、私の場合はそれ以外の国(イギリスなど)に応募する余裕はありませんでした。

 

なぜ学部から挑戦したのか

おそらく、多くの人と違うのは学部から直接PhDに挑戦したということではないでしょうか。そもそも、そのようなことが可能ということをしらない人もいると思います。(かくいう私も1年半前まで知りませんでした。)学部から直接挑戦した理由は(決して大したものではありませんが)大きく2つあります。

 

一つ目の理由はお金です。家庭の状況や父親の定年などの事情から、できるだけ早く親から独立する必要がありました。実際、日本の博士課程に進むとなると私の家計状況からは諦めていたと思います。中には多額の借金をして日本の大学院に通われている方もいると思いますが、そのような選択はなかなか取れないと思いますし、そのような選択肢を取るくらいの覚悟がなければ進学するべきでないという意見も(覚悟や金銭能力は能力を示さないという理由で)おかしな話だと思います。現状、日本は諸外国と比べて大学院生への支援が乏しいと言われています。将来、多くの人が利益を受けるだろう知の発展に伴うリスクを個人の責任に全て押し付ける日本の状況は改善の余地があると思います。

 

二つ目は、いずれ海外院に挑戦するなら早いうちから挑戦した方が(仮に失敗したとしても)次につながる経験になると考えたからです。海外PhDは人によっては何回も挑戦してやっと合格できる(もしくはできない)と様々なブログ等の体験談で聞いていました。そのような競争率の激しい挑戦をするなら、複数回挑戦するのを前提に早めに挑戦し始めるのは、試験の点数や申請書類への慣れなどの観点からメリットがあると考えました。また、アメリカの場合、マスター(修士)と出願書類が共通しているので、同時に狙ってもそれほど負担は大きくならないのも大きかったです。結果的には一回の挑戦でうまく行ったのですが、完全に運が良かっただけで、何回も挑戦する状況になっていてもおかしくなかったと思います。

 

一方で学部から進学するデメリットもあり、すぐ思い浮かぶものとしては知識等が不十分なまま博士課程を開始することではないでしょうか。これは実際自分でも悩んでる部分なのですが、そもそも出願を遅らせてもずっと合格しない可能性があることを考えると、準備不十分なまま進学するデメリットは甘受できるのかなと思いました。また、自分の頑張り次第で準備不足というデメリットは(難しいかもしれませんが)挽回できるというのもあります。もちろん、ここら辺のリスク感覚は人によるので、もう少し実力を蓄えてから挑戦するというのも十分あり得る選択肢だとは思います。(個人的には実力が十分になるタイミングなど一生こないと諦めています。)

 

また、一つ言っておくべきなのは、私がそもそも海外院受験までたどり着けたのは、学部を1年間休学中で、ゼミ以外の授業がほとんどなく、時間の融通が利いたことが大きいと思います。自由な時間があることで、試験勉強や奨学金の申請、所属大学外の授業等に全力を注ぐことができました。なので、もし授業をガッツリ受けながら準備をする状況になっていたら、そもそも受験するところまで辿りつかなかったのではないかと思います。

 

今回はここまでにしておきます。次回は申請書類全般について書いていきます。